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covid19.html (23780B)


      1 <h1>新型コロナウイルスに対する個人的見解</h1>
      2 <time>2022-07-30</time>
      3 <h2>はじめに</h2>
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      5 新型コロナウイルスに関していろいろと思うことはあるが、自分のなかでもあまりまとまっていないうえ、前提となる知識や情報、考えの論理的整合性がとれていない部分が多々あるように思う。それでも一応なんらかの形で今の考えを残しておきたいと思いこの文章を書くことにした。公開までこぎつけるかどうかもあやしい。
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      8 僕自身はどんなことがあろうがそれを運命と呼び、それを受け入れる覚悟である。その方が日々楽しく生きて納得の上で死んで行けるように思うのだ。自分でも素人なりに論文を読んだりして可能な限り信頼性の高い情報を集めようとはしているのだが、以上のような考えが根底にあるので、科学的な根拠というのはなんだかどうでもよく思えてきたりするもので、どうも今持っている知識というのがふわっとして正確性に欠ける。しかしだからこそ書きとめて後で反省できるようにしたい。
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     11 <h2>概要</h2>
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     13 マスクは今回の感染症を防ぐ効果は非常に限定的だと思う。一方でその副作用は大きい。体が常に酸素の薄い状態になっている。夏は熱中症の危険もある。返って口が乾燥するという人もいる。なによりの懸念は子供の発育への影響である。他人の表情が見えなくてどうしてまともに育つのか。
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     16 ワクチンについても効果は薄く、副反応が大きいので打つべきではないと思う。特に若年層は発症した際のリスクが低く、逆にワクチンによるものと思われる心筋炎等の可能性が高い。その一方で打ったからといって感染する確率は変らないようだ。
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     18 <p>
     19 またこの病気自体、危険性がそこまで高くないのでそもそも感染の拡大を防ぐ必要はないと思う。
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     22 さらに、例えある程度危険な病気が流行したとしても、人間味のある生活を犠牲にすることのデメリットとその危険性とを天秤にかけてどのような対策が適正なのかをきちんと議論すべきである。
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     25 ところがそのような冷静な考察をする上で必要な情報がなにひとつみあたらない。政府が発表している感染者数というのはPCR検査で陽性になった人の数である。この検査は無作為に行われていない。またPCRで陽性になったからといってもその人の体内からウイルスの断片が見付かったというだけで、病気が発症しているかどうかも、他人に感染させる可能性も分からない。死者数に関してもよく分からない。これらの数字は医療機関に対する補助金等により大きく歪められている可能性も高い。
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     28 また、僕の肌感覚として、マスクやワクチン等は同調圧力による面が大きいと思う。周囲の人達の中で、本当に必要だと思ってマスクを着用している人は少ない。ワクチンに関しても、その副反応を理解した上で打ったほうがいいと思って打っている人は見当らない。テレビや新聞で言っているから、周囲の人間がやっているからといった理由だけでの行動である。このような世間の流れは非常に危険だと思う。今回は軽い風邪でしかなかったが、この程度のことでここまで社会全体がひとつの空気に支配されているようでは、本当に国運を分けるようなことに見舞われればひとたまりもない。意見の多様性を無視してひとつの流れを作ってしまうと、その流れが間違っていたときに国が滅びるだろう。
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     31 しかしやはり一番心配なのは今このような環境のなかで自我を形成している子供である。マスクやワクチンはそれ自体が非常に強く影響する上、同調圧力も重くのしかかる。こんな状態で子供が健全に育つとはとても考えられない。10年、20年あるいはもっと先かも知れないが、今の子供達がこの国を動かすようになれば必ず大きな問題があちこちで噴出することになるだろう。
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     34 <h2>マスクについて</h2>
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     36 僕はこのウイルスの感染例が国内で報告されだした令和2年の初頭には人の多いところに行くときはマスクをしていた。インフルエンザに対しては効果がほぼ無いという知識はあったが、なんの情報もない中でとりあえずコストの低い対策はやって損はないとの軽い考えからである。ところでインフルエンザに効果がないという知識もどこで得たかすら覚えていない不確かなものであることを断わっておく。ところがこの頃は政府もなんの対策も打ちださず、周囲でもマスクをしている人が多い印象はなかった。しばらくして緊急事態宣言が発令されてマスクの着用率はほぼ100%になったが、この頃には僕はマスクは着用しないほうがいいと思うようになり、辞めてしまった。やはりインフルエンザに効果がないとの知識があったので新型コロナウイルスに対しても同様だろうとのことを思い、いろいろ調べた結果、着用の必要はないとの判断である。横浜から東京の事務所に満員電車で通勤していたが、乗客の中で自分だけマスクをしていない状態だった。
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     39 論文も一応いろいろ読んだ。マスクの効果に肯定的なものも否定的なものもあった。僕が読んだものはTwitterで拡散されているものが中心であるが、そのなかでマスクの効果に肯定的なものに関しては、電話やメール等による調査とシミュレーションによるものばかりだった。前者は論文の中でも明記されているが、回答するかしないかは回答者に委ねられており、また回答者のバイアスもあり、とても信頼できるものとは言えないと思う。後者についてはマスクには定性的には効果があるとの前提に立って、その効果を定量的に測るものであるため、こちらも本当に意味があるものかどうか相当あやしいと思う。日本においてもスーパーコンピュータの富嶽によるシミュレーションを何度も目にしたが、これもマスクにより飛沫が防げると言っているだけで、だからウイルスに対してどう影響があるかという点については説明していない。マスクをすれば飛沫が飛びにくくなるのはスーパーコンピュータで計算するまでもなく理解できることではないか。一方でマスクの効果に否定的な論文には、RCT等、無作為性の高い手法を用いたものが多く、こちらのほうが信頼性が高いと判断した。ところでウイルスがマスクの繊維の隙間の大きさよりも圧倒的に小さいのでマスクに効果がないと言う人もいるがこれについてはなんとも言えないと思っている。マスクの穴が大きくても、例えば繊維に静電気で吸着されたりするかもしれない。このような可能性だけで議論すればいつまでも答えがでないので、やはり信頼できる根拠というのは現実の観測であって無作為性の高い統計的手法によるものだと思う。ただし統計学は不勉強であることを断わっておく。
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     42 続いてマスクの害について、先日マスクを着用しないと参加できないという道にどうしても行く必要があり、久々に着用した。あまりにも苦しかった。自分が喘息を持っているということもあるかもしれないが、明かに脳に届く酸素が少いと思う。これはバイアスかなあ。このような状態で2年以上も過している人の脳にはなにかしらの障害が起きていてもおかしくないと思うのだが。あるいはマスクにより口呼吸になり却って喉が乾くという話もある。喉が乾けばウイルス等に対する防御も手薄になるだろう。また不織布マスクからはマイクロプラスチックが放出され、それを大量に吸い込み続けているという話も聞く。マイクロプラスチックを吸い込むことと肺癌とを結び付ける話もあるがこの辺はあまりきちんと確かめていない。他にもいろいろなリスクがあるだろうが、一番重大なものはやはり子供の発育である。生れたときから周囲の人間がマスクをした状態で、どうして人間の表情や感情、あるいは言語を学ぶというのだろう。生まれたての赤ちゃんでなくても、他人との人間関係を学び自我を形成している最中の子供達にとって、周囲の表情が分からないのはあまりにも影響が大きいのではないだろうか。大人でもマスクをした他人の表情を読みとるのはマスクをしていない場合よりも難しいが、子供の場合はそれがさらに顕著であるという。このように社会全体が長期に亙ってマスクで顔を覆っていては、今子供である世代が将来酷く歪んだ人間になると思う。これに関して警鐘を鳴らしている人はいるが、社会全体では無視されている。これには科学的根拠はあまりないようだ。結果が出るのが数十年後であろうから当然である。しかしだからといって子供を虐げていい理由にはならないだろう。子供がまともに育たずに被害を被るのは彼らが成長したときに年寄になっている今の我々自身かも知れない。ところで徳川時代に徳川家の子供は生まれた時から尊いというので、そのこの乳母になる人は母乳を与える際に顔を見せないようになにか被っていたらしい。それとの因果関係は不明だが、徳川家の子供は当時の平均よりも死亡率が高かったという。この話もきちんと確かめなければ。
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     45 <h2>ワクチンについて</h2>
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     47 ワクチンの効果は非常に限定されているようである。当初は一回打てば感染しなくなり、今回の騒動も収まると言っていたように思う。当時からそんな訳ないやろとは思っていたが、案の定全く収束する気配すらない。二回目には打てば重症化しなくなり、感染の拡大も終わると言い、三回目もこれで終りだと言っていた。そして今は四回目である。僕は一回も打っていないが、これまで政府の言うことを信じて打って来た人は未だに感染の拡大が収まらないことをどのように考えているのか不明である。更に四回目を打てと言われれば未だにその指示に従う理由もよく分からない。
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     50 また副反応も大きいではないか。いちいち高熱がでて苦しんでいる人が沢山いる。僕の父も三回目にやたら高熱がでて仕事の最中に会社から帰って来て家で寝ていた。心筋炎の危険も高いようである。政府がデータをちょろまかしていたと言う話があったが、ワクチンを打った場合と打たなかった場合では打った場合の方が圧倒的にリスクが高いようだ。そもそも今回のワクチンは従来のものとは根本的に違う新しいものであり、その安全性も未知数である。特に長期的な影響についてはなにも分かっていないのではないか。もちろん新しい技術には常に危険が付いてまわるものである。それを理解したうえで打ちたいと言う人は本人の責任で打てばいい。ところが今回は国民全員に打たせる勢いである。職場によっては半ば強制的に打たされる場合もある。こんなことをしてしまっては万が一この新しい技術に長期的な危険性があった場合に全国民がその影響を受けることになる。卵はひとつの籠に入れて運んではいけないのだ。
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     53 ところでワクチンを打つのが無料だと思っている人が多いようだがそんな訳ないやろ。全部国の金であり、つまりは我々の税金である。国際でも発行してくれるのならまだいいが、東日本大震災の前例があるのでどうせ増税されるに決まっている。その時はぜひともワクチンを打った人にのみ課税してもらいたいものだ。僕は払いたくない。また万が一このワクチンに長期的な後遺症等の危険があることが判明でもすれば、その治療にも国民健康保険という名の税金が使われるのだろうと思うとやるせない。
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     56 <h2>新型コロナウイルス感染症の危険性について</h2>
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     58 この病気はそんなに危険なものであるとは思わない。死亡も重症化もそんなに数が多くない。また先日厚生労働省のウェブページのデータから計算してみると死者の平均年齢が男性で79歳程度、女性で83歳程度と、ほとんど平均寿命に近いものになっている。これは病気で死んでいるというよりも寿命ではなかろうか。ただしこの計算に使ったデータは年齢が10歳区切りであるのであくまでも概算である。病院がパンクしそうだという話も、どうやら軽傷の人が大量に流れこんできていて大変だということらしい。政府がこの感染症の扱いを5類に引き下げれば済む話のようだ。
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     61 <h2>人間味のある生活とのおりあいについて</h2>
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     63 今回の騒動ではやたら強権的な対策が次々と打ち出された。マスクやワクチンの推奨は半ば強制力を伴ったものとなり、飲食店の営業自粛では法的拘束力が無いにしても、従わない店は名前を公開するなどされていた。個人的な行動も拘束力はないにしても制限された。それまであたりまえに行われてきた人間らしい生活が奪われた形になる。その後、因果関係は分からないが、自殺者が大きく増えたようだ。人間が行うことには必ず負の面がある。個人の自由を制限することにはそれなりのコストが伴うのだ。危険な感染症が流行したからといってただちに人権を制限することになりかねない今回のような対策をするのは間違っている。この対策により発生する種々のコストと、対策をしなかったときの危険を天秤にかけて考える必要があろう。命を守る為と言って一切の楽しみを奪われたのでは今すぐ死んだ方がましである。あるいは命を最優先にするにしても、その命の中には当然対策をしたがために自殺に追い込まれた人も入っている筈である。国という大きな組織を運営していく上ではなんらかの数字を見て次の行動を判断せざるを得ない訳だが、その数字として死者数を考えた場合でも、対策をしないがために死ぬ人の数と対策をしたために死ぬ人の数の双方を考慮せねばなるまい。
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     66 <h2>必要な情報の欠如について</h2>
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     68 上のような冷静な議論に必要なのが正確な情報である。感染症によって何人死んだのか、何人がどれほどの後遺症に苦しんでいるのか、逆に何人が感染症対策の為に死んだのか等の情報である。ところが今得られるそのような情報にはどれも正確さが欠如している。感染者数として発表されているのは無作為ではない方法でPCR検査をして陽性になった人の数である。東京都ではPCR検査を行う施設に補助金が出るので、被験者に商品券を配って集客している所もあると言う。そもそもPCR検査の開発者であるキャリー・マリス氏はこの検査は感染症の診断に利用すべきでないとの見解である。またこの感染症による死者数として発表されているのはあらゆる原因の死者のうちPCR検査により陽性だった人の数である。別の原因で死んでも陽性であれば新型コロナウイルス感染症による死者である。更に、新型コロナウイルス感染症により患者が死亡すればその病院に補助金が出ると言う話もある[要出展]。結局この感染症の本当の姿というのは一切見えてこないような情報しかなく、テレビ等ではひたすら以上のような定義の感染者数ばかり報道して視聴者の恐怖を煽っているだけである。ただでさえいい加減な定義の数字をさらに補助金によって歪めているのが現状である。このような状況で市井の人々は一体なにを怖がっているのか不明である。
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     71 <h2>同調圧力について</h2>
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     73 このような状況において、結局人々はどうしていまだにマスクをしてワクチンを打つのかといえば、それは同調圧力によるものである。もちろん一部にはこのウイルスを本当に恐れている人もいるだろうが、僕の周りではかなり少数派である。むしろ周りの目を気にしている人が大多数だろう。あるいは単に世の中の流れだからという理由でそれに付き従っている人も少なくない。中には自分が苦しい思いをしてマスクを着けているのだからお前も苦しいのを我慢して着けろと言う人や、周囲が常識として受け入れていることなのだから自分もしないと恥をかくと言う人もいる。中には同調圧力を感じてそれに屈っしてマスクを着用している人も居るが、それでは結局自分自身がその同調圧力になり、それを維持してしまっているではないか。このようなことでは結局いつまでたってもやめられない状態に陥いってしまう。というか陥っている。
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     75 <p>
     76 僕は上に書いた通りマスクは効果も必要性もなく害があると思っているので着用しない。この考えが本当に正しいかどうかは正直よく分からないが、少なくともマスクを着ける効果や必要性がないと思っているのであれば周りの目など気にせずにその通り行動するべきだと思う。同調圧力に弱い人というのはおそらく社会の流れに合わせてさえいればその流れが間違っていても自分には責任が生じないと考えているのだろう。ところで僕は今のようにマスクを強要するような状態が長く続けば必ず取り返しの付かないような問題がでてくると思っている。そのような社会で老後を過ごさなければいけないのは結局この社会の流れに同調していた人自身である。社会の趨勢に任せておけば確かに明確に責任を追求されることはないかも知れないが、その結果の尻拭いをするのは自分自身なのだ。
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     79 国を形作っているのは自分達自身である。国民とは別に政府が存在するのではなく、政府は国民自身が作るものである。個人とは別に社会の流れがあるのではなく、自分達が社会の流れそのものなのである。自分の頭で考え自分が信じたことを行動で周囲に示すのはむしろ社会に生きる一個人としての責務ではなかろうか。選挙で投票するのは国民の責務だというのと同じである。
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     82 <h2>意見の多様性について</h2>
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     84 同調圧力と関連するが、社会をいい方向に進める上で重要なのが意見の多様性である。ここに書いていることは僕個人の考えであり、それが正しいものかどうかはよく分からない。あるいは科学者の中にもマスクやワクチン等に関して種々の意見があり、統一されているものではない。そもそも科学は不完全なものなので科学者の意見が統一されてもそれが正しいかどうかはっきり言えるものではないだろう。個人の信条の問題も絡むといよいよ統一した見解というものを出すのは不可能である。しかしこのような意見の多様性というのがむしろ重要なのではないだろうか。多様な意見があればそのなかで最もいいものが生き残っていく。我々人間を含む生物というのはこのようにして進化し、生き残ってきたのではないだろうか。その結果が混沌のなかにある種の調和がとれたこの大自然というものであろう。
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     87 ところが今のように一方の意見に統一して他方を無視し、あるいは排除しようとするのはあまりにも危険である。もし社会が選んだ方が間違っていたら人類は絶滅である。卵はひとつの籠に入れて運んではいけない。まあそのような世界になるのもひとつ楽しみであるかも知れないが。
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     90 <h2>子供について</h2>
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     92 しかしなんといっても最優先して考えるべきは子供の未来ではないだろうか。
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     95 <h2>最後に</h2>
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     97 ここに書いたことは決して正確なことではない。僕の持っている科学的な知識や情報もいい加減なものである。ただし自信を持って言えるのは、僕は自分の頭で考えその結果正しいと思った行動を取っているということである。僕の考えが間違っていても、それは自分が正しいと思い、責任を持ってその通りに行動しているので、後で謝ることもできるし反省することもできる。自分で考えず、あるいは間違っていると思うことをしていては、後になって反省も謝罪もできない。そこにあるのは周りがやっていたから合わせただけで自分には責任がないという言い訳だけだ。しかしその結果どのような社会になろうが、自分もそこに住むことになるのだ。口で責任が無いとは言っても、結局その尻拭いは自分自身ですることになるのだ。今きちんと考えて自分の責任で行動しておかないと自分が死ぬ時にどんな顔をすればいいのか分からないだろう。食べてしまったケーキはとっておくことができないのだ。
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    100 僕は他人に言われた通りやってつまらない人生を送るより、死ぬリスクがあっても自分の信じたことをして生きたい。その方が死に直面したときに気分よく死ぬことができると思う。
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